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1990年以降、夏の甲子園を彩った高校球児スターと名勝負をピックアップ

いつの時代でもかけがえのない興奮と感動を野球ファンに届けてくれる夏の甲子園
高校生活をかけた選手と観客の応援が一体となった熱狂的なスタジアムの雰囲気、そして手に汗握る名勝負やスタープレーヤー候補たちの活躍もやはり見逃せないポイントです。
この記事では、1990年以降に的を絞って、夏の甲子園を賑わせたニュースや名選手たちを振り返っていきます。

星稜高校の「ゴジラ」松井秀喜選手の伝説の5打席連続敬遠

松井秀喜選手は、言わずと知れた日本野球史に残る長距離打者です。読売ジャイアンツの主砲として活躍後、米国メジャーリーグでは屈指の名門NYヤンキースのクリーンナップを務め、ワールドシリーズMVP獲得という偉業まで成し遂げました。
高校時代は石川県星稜高校の不動の4番バッターに君臨し、高校通算成績は打率450、本塁打60本と対戦投手にとっていかに脅威的な存在だったか、容易に推し量れる記録を残しています。

そんな松井選手が高校野球史上前代未聞の出来事として話題になったのが、1992年夏の甲子園2回戦、高知県代表明徳義塾高校との一戦です。試合結果は、3-2で明徳義塾が接戦を制し、これが松井選手にとって高校生活最後のゲームとなりました。

この試合では何と明徳義塾高校の監督が松井の打席に対して5打席連続での敬遠(意図的な四球)を指示し、松井選手は一度たりともバットを振らずに高校生活最後の試合を終えました。
試合終盤は松井選手との勝負を避ける采配に球場のファンの一部が大荒れとなり、痛烈な野次と共にゴミやメガホンがグラウンドに投げ込まれ、一時ゲームが中断する程の事態となりました。試合終了後も「プロとは違う高校球児がどこまで勝負に徹するべきか」という観点から、ファンや評論家の間でも多くの議論が交わされました。

試合直後のインタビューではとにかく無念さが滲み出ていた松井選手でしたが、後々振り返ると甲子園での連続敬遠が「プロで自身がそれに値する選手だと証明しよう」というモチベーションになったと本人は語っています。

数々の才能ある高校球児がハイレベルなプレーを披露してきた夏の甲子園ですが、全くバットを振らずに伝説になったという意味で、この松井選手の一件は異例中の異例の出来事と言えます。
世代を超えて賛否両論を呼ぶニュースとなった5連続敬遠ですが、試合直後の両監督のコメントからは、両チームともいかに熱い気持ちで試合に臨んでいたかということを窺い知ることができます。
まず、星稜の監督は「勝負してほしかった。自分の野球の中で悔いの残る一戦ですね。」と語っており、明徳義塾の監督は「高知県代表として負けるわけにはいかなかった。」と話しています。いずれにせよ、松井選手が野球界で偉大な成功を収めたことで、より一層ドラマ性の高い出来事として語り継がれていくのは確定的と言えます。

延長17回の死闘とノーヒット・ノーラン、平成の怪物松坂大輔投手

甲子園で怪物と称される程の大活躍を見せ、プロ入り後も日米問わず輝かしい成績を残した投手と言えば、横浜高校のエース松坂大輔選手の右に出るものはいないでしょう。
高校生ながら150キロの速球とキレのあるスライダーを武器に、1998年の3年時に春夏甲子園の連覇を達成、そして、史上2人目となる夏の甲子園決勝でのノーヒット・ノーランを成し遂げるなど、漫画の主人公並みの活躍を甲子園という大舞台でやってのけた選手です。
高校通算成績はもちろん並外れていますが、さらに甲子園通算成績に限ると11勝0敗、10完投、6完封、防御率0.78とまさに夏の甲子園に名を残すために生まれてきたのではないかという程の異次元の数値を叩き出しています。

決勝でのノーヒット・ノーランは当然文句なしの偉業ですが、松坂投手の甲子園での名シーンでそれ以上の衝撃とも言えるのが、夏の甲子園3回戦、何と延長17回まで続いた横浜対PL学園の一戦です。
この試合も普段通り先発としてマウンドに立った松坂投手は、真夏の過酷なコンディションの中、延長17回をたった1人で投げ抜き勝利をもぎ取りました。1試合の球数は250球、間隔の短いスケジュールで先発を続ける投手が示した常識外れの活躍に、全野球ファンが度肝を抜かれました。
伝説にはさらに続きがあり、ここまで短期間で肉体を酷使し続けた松坂投手でしたが、京都成章と対戦した同大会の決勝では59年振りとなるノーヒット・ノーラン、且つ甲子園の春夏連覇を達成、平成の怪物の高校球児としての歩みはこの上ないシナリオで幕を閉じました。

球威や投手としてのスキルはもちろん、何試合もエースとして連投する無尽蔵のスタミナと勝利を諦めないメンタルなど、この甲子園での活躍が強烈過ぎたのか、プロの道へ進んだ松坂選手と同期の選手たちは一様に「松坂世代」とも呼ばれるようになります。
松坂大輔選手の甲子園でのプレーは、いつの間にか一個人を飛び越えて野球界全体に影響を及ぼすほどの存在へと昇華したと言えるでしょう。

フィジカル・メンタル規格外の逸材、ダルビッシュ有投手の登場

20世紀末に平成の怪物松坂投手が甲子園に君臨し、この先数十年は彼のような高校球児は現れないだろうと多くの野球ファンは考えたでしょう。
しかし、2003年と2004年に東北高校より規格外のスケールを誇るダルビッシュ有投手が甲子園に登場します。高校球児たちと並んでも頭2つ分は抜けているであろう195センチの長身を活かし、高校野球とは別次元の快速球を放る様は松坂投手に勝るとも劣らない逸材の出現を感じさせるには十分でした。
ダルビッシュ選手の投球の凄さは体格の良さはもちろんのこと、それを最大限に利用できる柔軟性を併せ持っている点です。鞭のようにうねったフォームから繰り出される球筋は、過去の日本の名ピッチャーの投球を振り返っても同じような例はおそらく見当たらないでしょう。

実際に甲子園でプレーしたのは高校2年時からで、2003年夏の甲子園では茨城県代表常総学院との決勝戦へ進出。
東北地方初の全国制覇へと期待も高まっていましたが、あいにく右足負傷を抱えながらのピッチングとなり、残念ながら勝利にはつながりませんでした。3年時の春の選抜1回戦では見事ノーヒット・ノーランを達成、同年の夏の甲子園では2試合連続完封と順調な仕上がりを見せたものの、3回戦の終盤に大会初失点を喫すると千葉経大付に試合をひっくり返され、敗退となりました。


少ない失点で高校最後の大会から姿を消し、野球ファンからも惜しまれる結果となりましたが、高校通算成績でも防御率は1.10という際立った数値をマークしており、同世代の高校生はダルビッシュ選手の投球にはほとんどお手上げ状態だった様子が窺えます。

また、ダルビッシュ選手は高校時代より常識に囚われない合理的な考え方をする傾向があったとされ、どうしても高校野球部での常識とは摩擦が生じる機会も少なくなかったようです。
例えば、高校最後の試合で最終バッターとして打席へ向かったダルビッシュ選手は、緊迫した状況ながら和やかな笑みを浮かべる場面もあり、一般的な高校球児とは異質の雰囲気を当時から漂わせていたのは確かでしょう。
ただ、いくら異質とはいえ、「意味のないトレーニングは絶対にやらない」といった一本の筋が通っていたことも注目すべき点で、高校時代からプロ生活を見越し長期的な視野を確立していたからこそ、周囲とは必然的にギャップがあったとも言えます。

早実VS駒大苫小牧、ハンカチ王子とマー君の熱き投げ合い

高校球界に時代を担うスター候補が登場するのはまさに胸躍る出来事ですが、より一層ファンを熱狂させるのは実力が拮抗した宿命のライバルが大舞台で真剣勝負を繰り広げるシーンではないでしょうか。
選手の質の高いプレーはもちろんのこと、ライバル同士の名勝負という極上のシナリオを野球ファンに届けてくれたのは、2006年夏の甲子園決勝、早稲田実業VS駒大苫小牧の一戦です。
そして、同世代を代表する宿命のライバルが西東京代表早実のエース斎藤佑樹投手と南北海道代表駒大苫小牧のエース田中将大投手の2人です。
この両エースがトーナメントを両サイドから勝ち上がり、決勝と翌日再試合の2試合でようやく勝敗を決するという夢のような展開に、当時の高校野球界は大フィーバーとなりました。

加えて、両者とも投手でありながら程良く対照的な個性を持ち合わせていたことも、野球ファンが2人を比較し余計に興味関心が高まった一因でしょう。
斎藤投手は、凡打を打たせて封じるピッチングが得意な頭脳派投手として評され、マウンド上で汗を丁寧にハンカチで拭き取る上品な姿から「ハンカチ王子」という愛称で周囲を熱狂させました。
対する田中投手は、高校生としてはガッチリした体系で150キロマックスのストレートのほか、変化球にも切れがありトータルバランスが極めて高いピッチャーでした。そして、愛称として定着した「マー君」は、マスコミ対応時に斎藤選手から「マー君」と呼ばれていたのがきっかけだろうと言われています。

歴史ある野球伝統校ながら、当時10年振りとなる夏の甲子園出場を果たしていた早実と甲子園3連覇をかけて決勝の舞台へ乗り込んだ実力十分の駒大苫小牧。古豪と強豪の決勝戦は、周囲の期待通り両者譲らぬ投手戦となりました。結果は延長15回でも決着がつかず、1対1の引き分け(松坂登板時とはルール変更済み)。
勝敗の行方は、翌日の決勝再試合まで持ち越しとなり、幸せなことにファンは両エースの投げ合いをもう1試合余分に目撃できる機会を得ました。特に圧巻だったのは、延長15回表での斎藤投手のピッチングです。球数は170球を超える状況にありながら、相手の4番打者に対してその日最速となる140キロ後半のストレートを記録し、計5球の直球を連投します。
頭脳的なピッチングを得意とする斎藤選手が、試合の大詰めで闘志を全面に押し出した投球を披露し、スタジアムの興奮は最高潮に達しました。

休む間もなく開催された翌日の決勝再試合では、序盤に早実が2点を先取し駒大苫小牧が追うという状況でゲームは進行しました。
最終回には駒大苫小牧が2ランホームランで1点差にまで迫る粘りを見せましたが、終始ペースを乱すことなく投げ続けた斎藤投手が、最後は奇遇にも打者田中将大選手を三振に打ち取ることで早実念願の初優勝が決まりました。


実は、引き分けから再試合という決勝と全く同じシナリオを斎藤投手は同年春の選抜でいち早く経験済みでした。このおかげで、心身共に余裕を持って過密日程のピッチングに臨めたということを後に斎藤投手本人が明かしています。

夏の甲子園にスターが集うという嬉しい巡り合わせ

一流プレーヤーとしてプロで成功した選手であっても、誰もが夏の甲子園と縁があったというわけではありません。しかし、今回見てきたように、プロ野球界で誰もが知るようなビッグネームは、不思議と何らかのかたちで甲子園の名場面に関わっているケースが多いです。今後も甲子園でどんな名場面や好プレーに出会えるのか、これからも期待と想像を膨らませながら応援していきましょう。

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